尾張国清州城でお馴染み清州出身の水野鉄治が、安永年間(1771年)現在の岐阜県多治見市に於いて造り酒屋を開業したのが、今日の三千盛誕生のきっかけです。 今となっては"辛口の銘酒"としてご知られる「三千盛」も、明治の中頃までは「金マル尾」「銀マル尾」「炭マル尾」の三種の銘柄で親しまれ、その後「黄金」と変わり、昭和初年に上級酒のみを、初めて「三千盛」と銘うち、今日の三千盛に繋がっています。 昭和30年代、甘口の酒が時代の主流となり「からくち三千盛」は、永らく苦難の時期を過ごしました。 当時の主人、水野高吉は、「甘口でなくては売れない」という周囲の声の中、理想の辛口を求めて、精米歩合50%、日本酒度プラス10の、当時としてはたいへん珍しい、すっきりとした辛口の酒を造り「三千盛特級酒」として発売しました。 甘口の時代といえ、日本全国より「からくち」を探し求めてやまない酒徒がおり、偶然にも作家の永井龍男氏が愛飲するところとなり、この酒のその後が大きく変わっていったのです。 永井龍男氏の推薦によって評判を呼び、「三千盛でなければダメだ」という愛飲家が現れ、全国に点在する有名な料亭や寿司屋などにも置かれるようになり、今日のように辛口の酒として不動の地位を得たのです。